ミスター・バーク社長の屋根裏部屋
2022/12/04
 

2022年12月4日、株式会社バークジャパンは30周年を迎えました。
創業当時私はSVマネージャーとして勤務していました。この会社は、当時のコンサルタントの先生が大阪南港の休眠会社を安く買って設立しました。その社名が「アルコジャパン」保険会社のアリコジャパンを捩ってつけたのではないかという、いかにも怪しい社名でした。
「ミスターバークだからバークジャパンでいんじゃないですか?」と即決、日本中に展開する…そうなればいいけど…と案じたものです。
その後、株式会社に変更、更に1年後に社長という立場になり、その時は従業員わずか3名でした。会社が何かわからず、FC事業のこともわからず、SVとして黙々と基礎作りに励んでいた35歳の名ばかりの社長でした。

1995年5月、邑久町の学校給食のハンバーグから病原性大腸菌O157が見つかり、翌日から邑久店の売上がまず4割になり、1週間後には全国に波及し、全店舗の売上が4割にまで落ち込みました。
経理面はグループ会社が金銭を取り仕切っていたので、弊社の支払いは後回し、弱っていた会社は機能不全に陥り、取引先が一気に借金取に変身しました。2/3の会社からは取引中止、他は現金取引しかできないと通告されましたが、中止よりはマシでした。
なかなか回復せず、ようやく落ち着き始めた2001年9月10日、新聞の1面に「国内で狂牛病の牛が見つかる」の記事が掲載されました。ですが、翌日には皆様がよく覚えておられる9.11事件が発生し、狂牛病の話題はかき消された様に見えました。しかし、10月1日には再び新聞のトップの見出しは大きく狂牛病を報じる事となります。翌日から売り上げが7割に減り、またか…と落胆した事を覚えています。

給与も無く、貯金も尽き果て、手持ち資金は1500円、従業員は辞めていきました。さらにグループ会社からも距離を置かれ、借金にまみれ、文字通りの孤立無援。振り返れば、私の会社経営はここからが本当のスタートなのだと思います。
そこから数年間は寝るのも惜しんで月600時間勤務が続きました。借金を返すことしか頭に無く、辛い毎日が延々と続きました。そんな中で長野諏訪店のオープンは記憶に残るシーンの一つです。
今ではきれいな諏訪湖畔ですが当時は半日村と呼ばれ、3時半には高い山に日光をさえぎられ、薄暗くなる特殊な地域。湖畔には葦の群生があり、こんなところでお客様は本当に来てくれるのだろうかと不安だらけでした。気温は氷点下7℃という環境下、わかさぎ釣りの宿に間借りで宿泊しながらも開店を迎えることができました。
しかし、自信満々の全く私の言う事をきかないオーナー独自の販売促進の結果、予想どうりお客様には殆どご来店いただけませんでした。初めての寂しいオープン、オーナーに「FCチェーンとは」「本部とは」「ノウハウとは」と3日間、説得を試み、現地でチラシを作り、後手にはなりましたがその甲斐もあり、お客様の数は一気に10倍へと膨らみます。オーナーは「目から鱗です、やっぱり凄いです!一生ついていきます。」と感動してくれました。この経験は、私のFCチェーンづくりの根幹の一部を担うこととなります。

その後、4年程かけてパートさん数名とこの非常事態をなんとか乗り切ることができました。「まともな会社に」が自分の中での目標となり、気が付けば2歳だった下の子は小学校4年生になっていました。そこからは少しずつではありますが、なんとか「まとも」に近づいていったような気がします。
人間は不幸な記憶を消し、心を守っているのだと思います。思えば何年もの間の記憶が薄いのです。死にものぐるいで生きたはずなのですが、その時の感情はほとんど覚えていません。その経験は私に「胡坐をかくな」というトラウマを心に深く残しています。
幼いころ赤面症で自分の感情を表に出せなかった少年は、いつの間にか心臓に毛が生えた面の皮が分厚いジジイに変身しています。昔は…と言っても誰も信じてくれないくらいに。(笑)
真面目で一生懸命、最後まで投げ出さない、と小学校の通信簿に書かれた通りの人生をいつしか過ごしている自分に驚きます。正直なところ、「30年頑張った!」「よかった」などとは思うことはありません。

30周年を迎え、多くの優しい取引先の方々からたくさんのお祝いをしていただき、本当に有難いと感じています。ただ、ここは人生の通過点でしかないと思っています。まだまだ楽は出来そうにもないし、そういう気分にもなれないのも事実であります。
とはいえ、30年過ぎてみれば早いものです。先輩社長からの暖かいお手紙を頂きました。
「企業が三十年続くと云うことは本当に困難で7割8割の企業が倒産もしくは廃業になっていると聞きます。そうした中、飲食業界で続けられ繁栄された事は努力の賜と思います。今後は四十年五十年を目指して頂き、生涯現役を目指して頂きたいものです。」
この励ましを糧に感謝の心を忘れずにこれからも頑張っていきたいと思います。

店舗数は増えたり減ったりと、何かと紆余曲折はありますが、FCにはつきものの訴訟件数は未だにゼロです。私の目指すところは大企業でも上場でもなく、お客様に信頼される強いチェーン店づくりです。
出来上がった積み木を壊して再度積み上げるという考え方をずっと実行してきたので、これからもそれを続けていくつもりです。勿論、お客様とスタッフ、全ての関係者と共にです。

改めて、ここに多くの方々と歩んできたことに感謝してお礼を申し上げると共に、今後とも末長くお付き合いいただきますよう宜しくお願い申し上げます。

合掌礼拝